東京暮らし再開して1年余り。春夏秋冬一巡り。なかなか大変な局面もありましたが、今は穏やかな年の瀬を迎えています。
で、唐突ですが年末なので2013年を振り返って、今年の買った物の中でよかった物、ダメだった物の極めて個人的なランキング発表しとく。
ダメだった物・第3位:電球型蛍光灯
電球が切れてすぐに必要だったのに、LEDタイプはなぜかどこも売り切れ。やむなく買った蛍光灯タイプ。電球が必要なところって、スイッチを入れたらすぐに明るくなってもらわなきゃ困る場所なのに、十分に明るくなるまでに時間がけっこうかかるのがストレスでした。結局、とりあえず白熱電球を買い直してきた。エコじゃない私。
ダメだった物・第2位:カゼインプロテイン
今年は夏に骨折して、秋にジム通いを再開しました。筋トレしたら十分なタンパク質の摂取が必要です。で、トレーニング友だちからオススメされたのがこれ。ホエイプロテインよりコスパいいよーって言うし。
ところが、最初は気付かなかったんだけど、胸や背中に吹き出物ができやすくなったのはどうもこれを摂り始めからな気がする…ん?なんか体臭が変、っていうか臭くなってない?…加齢かと思ったんだけど、摂るのやめたら元に戻ったので、原因はカゼインプロテインだったのはほぼ確実。個人差があるんだと思うけど、俺的にはダメでした。
ダメだった物・第1位:シャープの掃除機(EC-ST20-S)
今年の最悪のお買い物。さすが「プラズマクラスター」とかアヤシイ機能を前面に掲げるメーカーらしいどうしようもない掃除機でした。「エコ機能」とか「直立させると停止」とかの機能がいちいち余計でイライラする。余計な機能はついてるのに、掃除機としての基本機能がおろそか。伸縮可能なハンドルがしっかりと固定されず掃除中にガタガタ伸びたり縮んだりしてイライラ。そして、20㎡くらい掃除しただけで「フィルターお掃除サイン」が出て、フィルターを水洗いしろと言い、水洗いしたら十分に乾かしてから使えと言う。思った時に使えない掃除機。もう二度とシャープの製品は買わないと私が誓うことになった商品です。
* * *
続いて、今度は買ったよかった物ランキング。
よかった物・第3位:家事代行サービス(物じゃないけど)
足を骨折して身動き不自由な時に、友だちから提案されたんです。狭いマンションの一室に一人暮らしなのに家事代行サービスとは贅沢じゃないか、とは思ったんだけど、背に腹はかえられぬ。で、頼んでみたらこれは良い!骨折のせいで出来なかった家事作業だけじゃなく、元気な時でも見て見ぬ振りをして放っておいた水回りのお掃除など、ちゃんとやってくれる。それも、独り身の部屋くらいだとたまに来てもらうだけで十分なので、そんなにお金がかかるわけでもないんだね。骨折が治っても、時々頼んでしまってます。
よかった物・第2位:「壁美人」石膏ボード用固定金具
ホッチキスで石膏ボードの壁にフックを取り付けられるという金具。金具を外した後はホッチキスの針の径の穴しか壁に残らないので、穴あとが目立たない。なのに、けっこうな重量物もぶら下げられるという優れもの。賃貸マンションだと壁に穴をあけたら退出するときに原状回復義務がどうの敷金がどうのこうので揉めそうなんですが、これだとほとんど目立たないので壁にフックを付けても(だぶん)大丈夫。この金具を使って壁にフォトフレームを架けましたー。
よかった物・第1位:BOSE SoundLink Air digital music system
栄えある今年の第1位は、AirPlayに対応したBOSEのスピーカー。iPhone、MacBookとワイヤレスでつなぐと音が出るというものです。家にいる時はiPhoneの音がこのスピーカーから出るんですよ。それほどオーディオにこだわりのない自分には十分にいい音で、これを買ってから家で音楽を聞くことが増えました。スピーカーから出ている線は電源ケーブルだけなので、置き場所も自由です。電池でも駆動できるので、必要ならまったく線なしで屋外でも使える(使ってないけど)。気軽にいい音、これは買って正解!
* * *
ということで、みなさんの2013年のお買い物はどうでした?
December 29, 2013
July 21, 2013
不完全な社会。
学生の頃にいじめられた記憶がある。いじめを黙認した記憶もある。思い出すと切なくなるので詳しくは書かない。
それでも思う。いじめはなくならない。いじめを肯定しているわけじゃないけど、いじめが根絶されるなんてことはありえない。
「いじめを根絶しましょう」という掛け声はよい。「いじめをなくしましょう」という活動は必要なのだと思う。それでもいじめは、なくなるはずがない。むしろ、いじめがまったく存在しない社会の方が不気味だ。人間は社会を作って生きる習性のある生き物。そこに生まれる優越感、劣等感、嫉妬や恐怖が、時に理性の壁を越えて、攻撃性をまとって発現することは避けられない。いじめがまったく存在しない社会って、強烈な管理社会か、みんなが麻薬でも常用している社会だろう。
いじめはなくならない。だから、「いじめをなくそう」という試みと同時に、いじめが起きた時にはどうするか、ということを考え続けなくてはならないんだ。
いじめが存在しない理想郷を追い求めるのは結構だけど、いじめが存在することから目を逸らし、起きてしまったいじめをクソミソに糾弾しているだけじゃ、どこの校長先生も「うちの学校にはいじめはありません」と報告するようになるだけだ。
繰り返すけど、いじめを肯定しているわけじゃない。ただ、いじめはなくならない。そして、「いじめをなくそう」という活動と、いじめが起きたときの対応策の検討が、ずっと並存していくんだと思う。
僕らの住む世界は理想郷ではないが、弱肉強食の修羅の国でもない。渡る世間は鬼ばかりではないが、鬼もいることはいる。そのスッキリしない現実を受け止めなくちゃいけないんだろう。それが大人の態度、それが成熟した社会というものじゃないかな。
「傷つけられる人がまったくいない社会を」と言われてもウソ臭い。出来る限りは傷つけられる人を減らし、不幸にも傷つけられてしまった人を救済し続ける、そんな地道な主張の方を僕は支持する。
June 05, 2013
東京でしか暮らせない、というのも残念です。
とあるスーパーマーケットのレジにて、前にいた50才くらいの女性が支払いのことで店員ともめてる。
「1,263円」みたいな端数の代金に対して、1,513円を払って、お釣りを切りのいい金額にしようとしたらしいんだけど、出したお金が間違っててお釣りが切りのいい数字にならなかった模様。
「だから、3円出したんだから、50円をください。」
「お客様、代金は◯◯円で、△△円お預かりしてますので・・・。」
「だから、●●円払ったでしょう!」
「いえ、お預かりしたのは△△円で・・・。」
そのスーパーのキャッシュレジスターは、上のトレーからお預かり金額を入れると下のトレーから自動的にお釣りが出てくるタイプで、店員がお金を数えているわけではない。
店員は2人がかりでその女性をなだめている。
「払ったお金はちゃんと確認してくれないと困るわ!」
女性は店員をなじっている。ほぼ確実に、お金を出し間違えたのは自分なのに。
* * *
日本は好き。東京も大好き。すごい街だと思う。
だけど、こういう瞬間に、東京がイヤになる。高度にシステム化され洗練されたサービスが当たり前になって、ちょっとでも不具合になると途端に不寛容な態度を見せる人々。
その裏返しなのか、異常にへりくだり、丁寧すぎて変になった敬語を使う店員。
世界有数の過密な大都市には、それなりのルール、都市生活の知恵が必要なのは分かる。「エスカレーターに乗ったら急ぐ人のために右側を空ける」なんてのは合理的なマナーだと思うしさ。
でも、その高度なシステムに乗っかることに慣れ過ぎている人々の不寛容、キレやすさ、柔軟度のなさが垣間見える時、どうしようもなく残念な気持ちになるんです。
そんな時、日本に比べたら少々不便でも、私が今まで暮らしてきた途上国、日本人目線だと「遅れた国」の暮らしを懐かしく思うんですよね。思った通りにならないことも多くて、それはそれでストレスは溜まるんだけど、物事は人対人で片付けてた。
そのレジにいた女性にそんな途上国暮らしをさせたら、毎日文句ばっかりで血圧上がって早晩日本に送還とかいう結末になりそうですけどね。
* * *
高度なシステムは、その裏にそれを支える多くの人々の献身がある。消費者が王様の国は、王様に傅く(かしづく)労働者の犠牲の上に成り立っている。
そして、消費者は、同時に労働者なのに。そこに思いが至らないのはなぜなのだろう。
日本は好き。東京も大好き。でも、そこにどっぷりとハマりすぎて、日本で、東京でしか暮らせない人になることは残念だし怖いことだと、レジでキレる女性を見て改めて思い知ったのでございます。
「1,263円」みたいな端数の代金に対して、1,513円を払って、お釣りを切りのいい金額にしようとしたらしいんだけど、出したお金が間違っててお釣りが切りのいい数字にならなかった模様。
「だから、3円出したんだから、50円をください。」
「お客様、代金は◯◯円で、△△円お預かりしてますので・・・。」
「だから、●●円払ったでしょう!」
「いえ、お預かりしたのは△△円で・・・。」
そのスーパーのキャッシュレジスターは、上のトレーからお預かり金額を入れると下のトレーから自動的にお釣りが出てくるタイプで、店員がお金を数えているわけではない。
店員は2人がかりでその女性をなだめている。
「払ったお金はちゃんと確認してくれないと困るわ!」
女性は店員をなじっている。ほぼ確実に、お金を出し間違えたのは自分なのに。
* * *
日本は好き。東京も大好き。すごい街だと思う。
だけど、こういう瞬間に、東京がイヤになる。高度にシステム化され洗練されたサービスが当たり前になって、ちょっとでも不具合になると途端に不寛容な態度を見せる人々。
その裏返しなのか、異常にへりくだり、丁寧すぎて変になった敬語を使う店員。
世界有数の過密な大都市には、それなりのルール、都市生活の知恵が必要なのは分かる。「エスカレーターに乗ったら急ぐ人のために右側を空ける」なんてのは合理的なマナーだと思うしさ。
でも、その高度なシステムに乗っかることに慣れ過ぎている人々の不寛容、キレやすさ、柔軟度のなさが垣間見える時、どうしようもなく残念な気持ちになるんです。
そんな時、日本に比べたら少々不便でも、私が今まで暮らしてきた途上国、日本人目線だと「遅れた国」の暮らしを懐かしく思うんですよね。思った通りにならないことも多くて、それはそれでストレスは溜まるんだけど、物事は人対人で片付けてた。
そのレジにいた女性にそんな途上国暮らしをさせたら、毎日文句ばっかりで血圧上がって早晩日本に送還とかいう結末になりそうですけどね。
* * *
高度なシステムは、その裏にそれを支える多くの人々の献身がある。消費者が王様の国は、王様に傅く(かしづく)労働者の犠牲の上に成り立っている。
そして、消費者は、同時に労働者なのに。そこに思いが至らないのはなぜなのだろう。
日本は好き。東京も大好き。でも、そこにどっぷりとハマりすぎて、日本で、東京でしか暮らせない人になることは残念だし怖いことだと、レジでキレる女性を見て改めて思い知ったのでございます。
May 26, 2013
気付く能力。
その窓からは、駅から出てくる人たちが見えるんですが、通路、窓と物陰の位置関係から、人が一人づつ順番に見えるんです。一人づつ物陰から出てくるように見える。
面白いもので、グループやカップルの中の一人が見え始めたときは、たとえその相方やグループの他のメンバーがまだその窓から見えていなくても、その人が一人ではないことが瞬時に分かるんですよね。見ず知らずの赤の他人でも、その人がだれかと一緒に歩いているのか一人で歩いているのか、その人だけしか見えていないのに、分かる。
その人が黙っていても、歩き方、表情、体の向き、そんなこんなでその人がだれかと一緒なのか一人なのか分かる。
* * *
たった数年の年の差でも、どっちが年上でどっちが年下か、初対面でも分かる。
どんなに化粧して着飾っていても、男なのが分かる。
CGで作られたキャラクターは、相当高度なCGでも実写でないことが分かる。
隠し事をしている人、嘘をついている人、疲れている人、いいことがあった人、精神に異常をきたしている人、体調の悪い人、どこがどうとは説明できないけど、分かる。
ものすごく精巧なヒューマノイドが作られ始めているけど、やっぱり機械であることは分かるし、まだ自信を持って「不気味の谷」を超えたとは言えないんじゃないかな。
* * *
人間にとって、他人の様子を気にすることが生存にとってそんなにも大事だったということなんでしょう。種族の仲間たちの様子の微妙な変化に気付けることが、進化の歴史の中で人類の生き残りに有利に働いたに違いない。じゃなきゃ、こんなにも微妙な違いを瞬時に判別する能力なんて説明できないよね。
* * *
「空気を読む必要がある」「同質化圧力が強い」って、ハイコンテクストな日本社会の息苦しさを批判的に言う人もあり、確かにそれもそうだとは思うんです。でも、他人が発する微妙なサインに気付くという能力が、人が進化の過程で獲得してきた能力であるならば、日本人の「察する」「慮る」っていう特徴は人の進化の最先端なのかもなぁと、その窓から外を眺めながら思ったんです。
(上の写真はダーウィンの彫像@自然史博物館です)
April 07, 2013
ルーツをたどる。
年齢を重ねてくると、「自分とはいったい何者なのか」という疑問が、自分のルーツをたどる動機になったりするものらしい。私の祖父も生前、寺や役所で過去帳を調べていたようだし。
しかし、もっと壮大なルーツをたどれるのがこれ。
The Genographic Project (2.0Beta) by National Geographic
数年前、National GeographicとIBMが、東アフリカで誕生した人類という種がどのように世界中に広がっていったかを調べるプロジェクトをやってました。東アフリカから移動を始めた人類は、いくつもの分岐を経て世界中に散っていったわけですが、その途上で遺伝子に刻まれていった「マーカー」を追跡すれば、東アフリカから始まる人類の壮大な旅「Great Journey」を遡れる。世界中のいろんな民族の遺伝子を集めて、データベースを作って、地域ごとのマーカーを調べ、その発生頻度と地域の関係をマッピングすれば、全世界に人類が拡散していった様子を再現できる。それを実際にやってみようとしていたのが、The Genographic Projectでした。
そして、ある程度のデータベースができたので、今度は希望する人がこのプロジェクトに参加できるようにしたのが、The Genographic Project (Beta2.0)。キットを取り寄せると、綿棒みたいなプラスチックの棒と、それを収める小さい試験管みたいな容器が送られてくるので、その綿棒状のもので頬の内側を擦って容器に入れて送り返すと、2ヶ月くらいで分析の結果がオンラインで見れるようになります。
自分は、東アフリカからどのルートを経て来たグループに近い遺伝子を持っているのか。もちろん祖先たちはグループ間でも混交しているわけだし、一本のルートが示されるわけじゃないですが、大まかなルートやそこを通った時期、自分と近い遺伝子を持つ人々の分布などが分かりますよ。
また、人類が誕生した頃は、現世人類の他に少なくともあと2種の人類、ネアンデルタール人とデニソワ人がまだ生きていてホモ・サピエンスと混血していたので、今の自分の中にどれくらいネアンデルタール由来のゲノムがあるのか、なんていうことも分かる。(ちなみに、世界に拡散せずアフリカにずっと残ったと考えられる黒人のグループにはネアンデルタール由来のゲノムは見つからないらしい。)
たぶん、日本人だったらみんな似たような結果が出るような気もしますが、人類という種の歴史の中で自分が今どこにいるのかを知るのは、ちょっとロマンチックじゃないですか。
ということで、既に50万人以上の遺伝子情報を集めたこのプロジェクトに参加してみましたよ。
しかし、もっと壮大なルーツをたどれるのがこれ。
The Genographic Project (2.0Beta) by National Geographic
数年前、National GeographicとIBMが、東アフリカで誕生した人類という種がどのように世界中に広がっていったかを調べるプロジェクトをやってました。東アフリカから移動を始めた人類は、いくつもの分岐を経て世界中に散っていったわけですが、その途上で遺伝子に刻まれていった「マーカー」を追跡すれば、東アフリカから始まる人類の壮大な旅「Great Journey」を遡れる。世界中のいろんな民族の遺伝子を集めて、データベースを作って、地域ごとのマーカーを調べ、その発生頻度と地域の関係をマッピングすれば、全世界に人類が拡散していった様子を再現できる。それを実際にやってみようとしていたのが、The Genographic Projectでした。
そして、ある程度のデータベースができたので、今度は希望する人がこのプロジェクトに参加できるようにしたのが、The Genographic Project (Beta2.0)。キットを取り寄せると、綿棒みたいなプラスチックの棒と、それを収める小さい試験管みたいな容器が送られてくるので、その綿棒状のもので頬の内側を擦って容器に入れて送り返すと、2ヶ月くらいで分析の結果がオンラインで見れるようになります。
自分は、東アフリカからどのルートを経て来たグループに近い遺伝子を持っているのか。もちろん祖先たちはグループ間でも混交しているわけだし、一本のルートが示されるわけじゃないですが、大まかなルートやそこを通った時期、自分と近い遺伝子を持つ人々の分布などが分かりますよ。
また、人類が誕生した頃は、現世人類の他に少なくともあと2種の人類、ネアンデルタール人とデニソワ人がまだ生きていてホモ・サピエンスと混血していたので、今の自分の中にどれくらいネアンデルタール由来のゲノムがあるのか、なんていうことも分かる。(ちなみに、世界に拡散せずアフリカにずっと残ったと考えられる黒人のグループにはネアンデルタール由来のゲノムは見つからないらしい。)
たぶん、日本人だったらみんな似たような結果が出るような気もしますが、人類という種の歴史の中で自分が今どこにいるのかを知るのは、ちょっとロマンチックじゃないですか。
ということで、既に50万人以上の遺伝子情報を集めたこのプロジェクトに参加してみましたよ。
私の場合は、日本人よりも中国人、それも中国南部の人々と近い遺伝情報を持っているらしいです。
なお、キットは199.95ドル、キットには固有番号がついていて、その番号で管理されるので、匿名で分析してもらえます。要英語。
March 20, 2013
里帰り。
帰国して都内にアパート借りてから、以前に比べれば格段に帰りやすくなった福岡の実家に、なんだかんだと理由をつけて帰っている。
どこにでもいそうな日本の平凡な一家。
家族や親戚は会社員か公務員ばかり。目立って羽振りがいいのもいないけど、食うに困っている親戚もいない。情熱大陸やソロモン流には縁のなさそうな人たち。医者や弁護士はいないし、自営業や商店主さえいない。
とはいえ、病気を抱えている者や一人暮らしが無理な老人はいて、処分に一悶着しそうなささやかな土地があったりはする。
サラリーマンとしてはそこそこうまくやり、社畜だノマドだ非正規だと穏やかじゃない世界から逃げ切りモードの父。子どもが独立してからは専業主婦で、ときどき狭い庭をいじっている母。
強いて言えば、いい年して独身で海外暮らしなんかしてた自分がちょっと異色だったかもしれないけど、それもブツブツ仕事の文句を言いながら、とりあえず東京にアパート借りたわけだし。
インターネットはつながっているけど、所詮メールかテキストメッセージくらいのもの。モバゲーにハマっている者はいないけど、ネットで買い物することもほとんどないし、たぶんfacebookのアカウントは持ってないか、持ってても腐らせてる。ネットに依存しているのは家族の中ではきっと自分だけ。スマホやパソコンがなくても困らない人たち。
電化製品はハイテクになり、車は低燃費になり、買い物するのはショッピングモールや「道の駅」になったけど、話題はもっぱら子どもや孫のこと。
* * *
どこにでもいそうな日本の平凡な一家。
ん?そうなのか。「普通」「平凡」「一般的」?
* * *
いずれにしても、時とともに移ろい行くあやういバランスの上の、今。溶けてなくなるあめ玉のよう。その寸暇を味わえる時に大事に味わっておきたくて、帰られる時は実家に帰ろうと思っています。またいつ、海外で暮らすことになるやもしれないしね。
March 02, 2013
春雨じゃ、濡れてまいろう。
3月1日、久しぶりに雨が降りました。
風がないとして(雨が上空から垂直に降ってくるとして)、雨の中ではどのくらいの速さで歩くのが(あるいは走るのが)いいんでしょう。速く走ると体の前面に雨を受けるけど、雨の中にいる時間は短くなる。ゆっくり歩くと、雨の中にいる時間は長くなるけど、雨を受けるのは頭の上と肩の辺りだけになる。
ということで、底面がa×aの正方形、高さがhの角柱が、距離dを速度Vで移動する時、どのくらい雨に濡れるか計算してみた。雨は速度vで上空から垂直に降ってくるとして。
で、途中の計算は置いといて、浴びてしまう雨の量をWとすると、
W=vd(a^2/V+vh)
になるような気がする。あとはExcelでも使って、変数に適当な値を入れて計算してみればいいんだけど、この式を見てるだけで分かる。
走る方が濡れないし、歩く速さVが0の時はWは無限大になる。そりゃそうだ。
風がないとして(雨が上空から垂直に降ってくるとして)、雨の中ではどのくらいの速さで歩くのが(あるいは走るのが)いいんでしょう。速く走ると体の前面に雨を受けるけど、雨の中にいる時間は短くなる。ゆっくり歩くと、雨の中にいる時間は長くなるけど、雨を受けるのは頭の上と肩の辺りだけになる。
ということで、底面がa×aの正方形、高さがhの角柱が、距離dを速度Vで移動する時、どのくらい雨に濡れるか計算してみた。雨は速度vで上空から垂直に降ってくるとして。
で、途中の計算は置いといて、浴びてしまう雨の量をWとすると、
W=vd(a^2/V+vh)
になるような気がする。あとはExcelでも使って、変数に適当な値を入れて計算してみればいいんだけど、この式を見てるだけで分かる。
走る方が濡れないし、歩く速さVが0の時はWは無限大になる。そりゃそうだ。
February 17, 2013
趣味と本業。
いつの頃からか、ジムに通うのが日課になってます。
時にはかなり真剣にトレーニングして、けっこういい感じの体になってるんじゃない?って時期もあった。ベンチプレスで挙げられる重量も増えてね。
そして、これより上を目指すには今のままの生活だと無理だな、というところまで来たと感じられたことがあります。
筋トレって、挙げられるウェイトの重量とか、体のサイズとか、やったことに対してその成果が割と分かり易く見えるので、「このままではこれ以上は無理」というのが自覚できるんですよね。
食事の内容・タイミング、睡眠、そして当然トレーニングの量・質・タイミング。これらを全部最適化して行かないと、これ以上は伸びないなという地点に至った感があったんです。トレーニングに専念した生活をしないと無理って。
しかし、現実にはそうはいかない。仕事をしていれば、食事やトレーニングが予定どおりにいかないことはよくあるし、友人知人や仕事関係の人と夜に会って飲みに行くこともある。私の場合はさらに、転職や海外出張、海外赴任も多かったので、その度ごとにジム通いは一時中断したり、おろそかになったりで。で、「これ以上は無理」という地点から遠ざかって、また最初からやり直し。
* * *
その道で一流と言われるところに到達した人は、きっと他を犠牲にしてでもその何かひとつに専念する決意があったんだろうなと思うのです。そこがアマチュアとプロの境目であり、趣味と本業の違いなんでしょう。
スポーツでも音楽でも芸術でもビジネスの世界でも、他のことを犠牲にしてでもそのとき取り組んでいることにすべてを捧げる選択が出来たかどうかが、プロとアマチュアの分岐点になるのかもしれない。あのときトレーニングを優先する選択をしていれば、今ごろ私はどっかのジムのインストラクターか、パーソナルトレーナーにでもなっていたかもしれない。
といって、すべてを捧げて取り組んでも、世に認められるにはさらに生まれ持った才能や運も欠かせないわけで、だからこそその道のプロ、一流、カリスマと呼ばれるに至る人は数が限られ、凡人とは違う迫力、オーラを醸し出すんでしょうね。
* * *
まあでも、そんなにギチギチがんばらなくても、毎日どうしようどうしようって模索しているうちに過ぎて行くのが人生で、その模索する過程を楽しめればいいなって、思ったりもするんですけどね。
時にはかなり真剣にトレーニングして、けっこういい感じの体になってるんじゃない?って時期もあった。ベンチプレスで挙げられる重量も増えてね。
そして、これより上を目指すには今のままの生活だと無理だな、というところまで来たと感じられたことがあります。
筋トレって、挙げられるウェイトの重量とか、体のサイズとか、やったことに対してその成果が割と分かり易く見えるので、「このままではこれ以上は無理」というのが自覚できるんですよね。
食事の内容・タイミング、睡眠、そして当然トレーニングの量・質・タイミング。これらを全部最適化して行かないと、これ以上は伸びないなという地点に至った感があったんです。トレーニングに専念した生活をしないと無理って。
しかし、現実にはそうはいかない。仕事をしていれば、食事やトレーニングが予定どおりにいかないことはよくあるし、友人知人や仕事関係の人と夜に会って飲みに行くこともある。私の場合はさらに、転職や海外出張、海外赴任も多かったので、その度ごとにジム通いは一時中断したり、おろそかになったりで。で、「これ以上は無理」という地点から遠ざかって、また最初からやり直し。
* * *
その道で一流と言われるところに到達した人は、きっと他を犠牲にしてでもその何かひとつに専念する決意があったんだろうなと思うのです。そこがアマチュアとプロの境目であり、趣味と本業の違いなんでしょう。
スポーツでも音楽でも芸術でもビジネスの世界でも、他のことを犠牲にしてでもそのとき取り組んでいることにすべてを捧げる選択が出来たかどうかが、プロとアマチュアの分岐点になるのかもしれない。あのときトレーニングを優先する選択をしていれば、今ごろ私はどっかのジムのインストラクターか、パーソナルトレーナーにでもなっていたかもしれない。
といって、すべてを捧げて取り組んでも、世に認められるにはさらに生まれ持った才能や運も欠かせないわけで、だからこそその道のプロ、一流、カリスマと呼ばれるに至る人は数が限られ、凡人とは違う迫力、オーラを醸し出すんでしょうね。
* * *
まあでも、そんなにギチギチがんばらなくても、毎日どうしようどうしようって模索しているうちに過ぎて行くのが人生で、その模索する過程を楽しめればいいなって、思ったりもするんですけどね。
January 14, 2013
ビッグローダーと「私」。
物心つくかつかないかの昔に私が欲しかったおもちゃ、その名前までは覚えていなかったのですが、さすが神様、仏様、Google様、商品名が分かりました。
「はたらくじどうしゃビッグローダー」
これだこれ。一台の動力車がコースを走りながら、ポイントポイントで装備を変えてダンプトラック、フォークリフト、ペイローダーに変化し、積載物(プラスチックの玉)をひたすら動かし続ける様子を見て楽しむおもちゃです。子どもながらにこのおもちゃが意外と高価なことは分かっていて、欲しいのに親に買ってくれとはせがまなかったことも思い出します。いじらしいな。
* * *
唐突にこのビッグローダーを思い出したのは、平野啓一郎さんの「私とは何か——「個人」から「分人」へ」(講談社現代新書)を読んでいたから。この本で平野氏は、「私」を構成するものとしてそれ以上分割できない「個人」があって、その個人が局面ごとに異なるパーソナリティを演じているという考え方ではなく、局面ごとに違うパーソナリティ=分人=もすべて自分の一部で、その分人の集合体が「私」という存在だろう、という考え方を打ち出してらっしゃる。
少なくとも「それ以上分割できない個人」という考え方は、ただ一人の神と向き合う一人の自分という図式が根底にある西洋世界の産物だろうと。そもそもperson、peronalityって古代ギリシャの演劇で使われた仮面「ペルソナ」が語源だし、本当の自分というのがまずあって、それがその時々にふさわしい仮面を付けているのが「私」の姿だという考え方のルーツは日本にはなかったんじゃないのか。
たしかに、分人の集合体が「私」であると考えると合点がいくことは多い。その辺りの事情が「私とは何か」の本で説明されています。
* * *
で、ビッグローダー。ポイントポイントで動力車の上に載る装備が変わってダンプトラックになったり、フォークリフトになったりする様子が、その時々に役割、パーソナリティを変化させる「私」の動きを想起させたのか、急に懐かしく思い出したわけでして。
分人の集合体が「私」だというのはストンと理解できる。しかし、肉体としての「私」はひとつ。生物としての生体機能はひとつ。そしてビッグローダーには動力車がある。システムに動力を与えるものとして必須なもの。ダンプトラックやフォークリフトの装備が「分人」、動力車はそれを支える肉体だったのか。
* * *
1977年発売のビッグローダーのコンセプトは、現在も販売されている「きかんしゃトーマスとハロルドのビッグローダー」などに引き継がれているようです。子どももいないのに、うっかり「ショッピングカートに入れる」をクリックしないようにしないと。
「はたらくじどうしゃビッグローダー」
これだこれ。一台の動力車がコースを走りながら、ポイントポイントで装備を変えてダンプトラック、フォークリフト、ペイローダーに変化し、積載物(プラスチックの玉)をひたすら動かし続ける様子を見て楽しむおもちゃです。子どもながらにこのおもちゃが意外と高価なことは分かっていて、欲しいのに親に買ってくれとはせがまなかったことも思い出します。いじらしいな。
* * *
唐突にこのビッグローダーを思い出したのは、平野啓一郎さんの「私とは何か——「個人」から「分人」へ」(講談社現代新書)を読んでいたから。この本で平野氏は、「私」を構成するものとしてそれ以上分割できない「個人」があって、その個人が局面ごとに異なるパーソナリティを演じているという考え方ではなく、局面ごとに違うパーソナリティ=分人=もすべて自分の一部で、その分人の集合体が「私」という存在だろう、という考え方を打ち出してらっしゃる。
少なくとも「それ以上分割できない個人」という考え方は、ただ一人の神と向き合う一人の自分という図式が根底にある西洋世界の産物だろうと。そもそもperson、peronalityって古代ギリシャの演劇で使われた仮面「ペルソナ」が語源だし、本当の自分というのがまずあって、それがその時々にふさわしい仮面を付けているのが「私」の姿だという考え方のルーツは日本にはなかったんじゃないのか。
たしかに、分人の集合体が「私」であると考えると合点がいくことは多い。その辺りの事情が「私とは何か」の本で説明されています。
* * *
で、ビッグローダー。ポイントポイントで動力車の上に載る装備が変わってダンプトラックになったり、フォークリフトになったりする様子が、その時々に役割、パーソナリティを変化させる「私」の動きを想起させたのか、急に懐かしく思い出したわけでして。
分人の集合体が「私」だというのはストンと理解できる。しかし、肉体としての「私」はひとつ。生物としての生体機能はひとつ。そしてビッグローダーには動力車がある。システムに動力を与えるものとして必須なもの。ダンプトラックやフォークリフトの装備が「分人」、動力車はそれを支える肉体だったのか。
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1977年発売のビッグローダーのコンセプトは、現在も販売されている「きかんしゃトーマスとハロルドのビッグローダー」などに引き継がれているようです。子どももいないのに、うっかり「ショッピングカートに入れる」をクリックしないようにしないと。
January 02, 2013
2013年のサイコロ。
サイコロを振ると、1が出る確率は1/6の確率です。そういう確率・統計の基礎を初めて学んだは小学校高学年の算数の「場合の数」の章で、「確率」という言葉が出て来るのは中学校の数学でしたっけね。
しかし、確率をいくら学んでも、当然のことながら私がこれから振るサイコロの出る目がいくつのなるのかを予言することはできないわけで。
* * *
日本経済の停滞を示す統計や推計、日本や世界のマクロ経済の指標、経済だけでなく保健・医療やインフラ等の社会環境についても、愉快とは言えないいろんな数字を目にします。
が、それらの数字は私やあなたの明日の出来事を直接予言するものではない。サイコロで1が出たのは社会が悪い、政治が悪い、景気が悪いと恨んでも仕方がないのね。「6が出やすい社会を作ろう」というのも大切だけど、まずは自分の持ち駒をフルに活用してゲームを楽しもうよ。
2013年の年の初め、それが私の抱負らしきもの、かな。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
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